第五夜.55年前の校内新聞 目の前で、仲間が次々と消えて行く。その精神的苦痛は並のものではないと言うのに、柳は表情を変える事なく黙って鏡を見つめていた。は泣きそうに顔を歪めていたけれど、かと言って泣き出す事もなく、ジャージの裾を掴んで俯いている。 柳から話は聞いていたのにも関わらず、こんなにも驚いている自分が、は憎たらしかった。心のどこかでは、彼の話を信用していなかった自分に気が付いたからだ。 「……」 不意に名前を呼ばれて、はそっと顔を上げた。じっと鏡を黙視していた柳が、今は真っ直ぐにこちらを見ている。今声を出せば、それはきっと震えているだろう。ただでさえ不安状態にあるお互いを更に追い込みたくなくて、は何も言わずに首を傾げてみせた。 柳はそんなにゆっくりと近づいてくると、二十センチ程低い彼女の頭に手のひらを置く。そして、柔らかく笑った。心中穏やかではないだろうに、柳はの心配を一番にしてくれている。 そんな気遣いが沁みわたって、は目尻に滲んだ涙を拭って、頬を引きつらせながらも笑みを浮かべる。 「図書室に行こう。参考文献があるかもしれない」 「うん。絶対、皆を見つけなきゃ」 未だ行方の解らない切原を含め、柳と以外の部員が消えた。彼らを救えるのは、自分達しか居ないのだ。立海は明治時代に建立されており、恐らくこのような怪奇現象は昔にもあった筈。開校当時から続いている校内新聞に、何か手掛かりがあるかもしれない。 柳の中には、少なからず罪悪感が渦巻いていた。もし自分が、二階にはためく同じジャージを見つけたりなんかしなければ、レギュラーじゃないと気付いていたのにも関わらず追いかけたりなんかしなければ、仁王と柳生が鏡に引きずり込まれる事なんて無かったのに。 そんな柳の考えを全て見透かしているかのように、今度はが柳の腕をそっと掴んだ。少し驚いた表情で見下ろしてくる柳に、普段と変わらぬ表情で、は微笑む。 「私がジャージを見つけても、同じ事してたよ」 「……ありがとう」 「ううん。ほら、早く図書室行こう? あ、でも、職員室は鍵開いてるかな……」 「それなら心配は無い。図書室のスペアキーを持っている」 「スペアキー? どうして?」 「図書準備室には、昔のデータがたくさん残っている。司書に話を通して、譲ってもらった」 そう言って、柳はジャージのポケットから小さな鍵を取り出した。それには図書準備室と書かれたプレートのストラップが括りつけられている。柳の手のひらに収まるその鍵を見て、は少し驚いた風に目を丸くしたけれど、すぐに納得したように頷いた。 「此処からなら、三階の渡り廊下の方が近い?」 「恐らくな。日が完全に落ちる前に、早く行こう」 後三十分もしたら、夕日は完全に姿を消してしまうだろう。いくら夏だとはいえ、外が薄暗ければ室内の暗闇は言わずもがなである。柳とは最後にちらりと大鏡の方を見やってから、大視聴覚室を後にした。 キーワードは、鏡。それも、全身が映る姿見のもの。四時過ぎに鏡の中に吸い込まれるだなんて、どこかのちんけな怪談話にありそうなものだと、柳は小さく溜め息を落とした。文章では見慣れている怪奇現象だが、実際目にしてしまうと、身体全体を駆け巡る動揺は並大抵のものではなかった。 元々、非科学的なものは信じない性質なのだ。幼馴染が柳以上に科学好きな為、それに感化されている部分もある。柳自身は理数系が得意で、データ解析が好きなただの学生なのだ。人よりも記憶力が抜群に良いし、頭の回転が速い所為か暗算だって群を抜いて速い。 けれど幼馴染はそれに加え、何らかの実験を好んでいた。テニスをするにあたって必要な栄養を摂取する為、一番の理解者である筈の柳ですら理解が出来ないドリンクを作ることだってある。もし、彼がこの場に居たのなら――乾貞治がこの場にいたのなら、彼は何と言うだろうか。 恐怖を覚えるよりも先に、その不可思議な現象に感動するのかもしれない。そこまで考えて、柳は自虐的な笑みを浮かべた。何も、ここまでマイナス思考になる必要はない。 案外動揺してしまっている自分自身に溜め息を落とすと、不意に隣を歩いていたがこちらを見た。 「ねえ、柳くん」 「なんだ?」 「赤也くんと真田くんは、何処に行ったんだろう」 「弦一郎は、恐らく精市達が引きずり込まれた鏡の中だ」 「……赤也くんは?」 「赤也に関しては解らないままだ。靴が置いてあったから、校内に居るとは思うが」 「でも、きっと……」 「その線が一番高いな。無事ならば、すぐにでも戻ってくる筈だろう」 「そ、っか」 はそれ以上口を開かなかった。濃いオレンジ色が映るリノリウムの廊下に目線を落として、ただ図書室までの道のりを歩き続けた。 * * * 図書室の中もまた、嫌味な程の静寂に包まれていた。天井に向け聳え立つように置かれている本棚に囲まれ、どことなく切迫感があるようにも感じられる。今までの校内新聞がまとめられているコーナーへ行くを横目に、柳はカウンター内に置かれている非常用の懐中電灯を手に取った。 カチ、とスイッチをスライドさせると、あまり目に優しくはない煌々とした光が目の前に広がる。暗い室内での突然の明かりに驚いたのか、は弾かれたように顔を上げ、こちらに振り返った。 「ああ、すまない。懐中電灯だ」 「そんなもの、あったの?」 「どの教室にも、非常用の懐中電灯は置いてあるぞ。知らなかったか?」 「うん。あんまりお世話になるものでもないから」 そう言って、は目を戻してしまった。そんな彼女に近寄って、綺麗に並べられている校内新聞のファイルをひとつ取り出す。パラパラと適当に捲ると、歴代の新聞部が各時代の個性を強調したレイアウトがされているのが、良く解る。 も懐中電灯からこぼれる光を頼りに、ファイルを捲り終えては、溜め息と共に本棚へ戻す作業が繰り返された。 どれ位探しただろうか。何冊目になるか解らないファイルを手に取って数ページめくった時、柳は大きく書かれた見出しに目を止めた。 『怪奇現象?! 鏡にまつわる怖い話!』明朝体でそう書かれた見出しの下を懐中電灯で照らすと、細かな字で事の詳細が書かれていた。もはやページを捲る事を義務化していた手を止めて、詳細を読んでいく。 『四時四十四分、大視聴覚室に置かれている大鏡の前に立つと、中から白い手が出て引きずり込まれてしまう。一人でも鏡の中に入ってしまうと、その日はずっと異界への扉が開きっぱなしになる。その間に鏡に近づいた者は引きずり込まれ、その他にも色々な所に入り口がある為、四時四十四分に大視聴覚室に入ってはいけない』 ふと、柳は不自然な点に気が付いた。新聞の一番上に表記された、発行年月を見る。1955年9月。 どう考えても可笑しかった。大視聴覚室にあるあの大鏡は、つい最近理事長が買ったものであり、1955年には存在しない筈なのだ。眉をしかめて、続きを読んでいく。 『異界から出るには、その世界の番人である花子さんと出会わなければならない。しかし、花子さんは女子生徒がいる時のみしか姿を現さず、男子生徒のみで引きずり込まれてしまった場合は絶対に帰って来れない。元凶である大鏡の特徴は、左右から金色の竜細工が伸び、頂点でお互いの首を交わし合っているもの。稀に、その鏡に魅入られて――』 そこまで読んだ時、何かが落ちるような物音が響いて、柳は記事から目を離した。 「……?」 隣で同じように校内新聞を探していた筈のの姿が、何処にも無くなっていたのだ。静かな混乱と共に、柳はファイルを手にしたまま懐中電灯で辺りを照らしだすが、人の影はない。何度か声を大きくして彼女の名前を呼んでみるも、返答は全く返って来なかった。 最悪のケースを想像しつつも、辺りを照らしながら歩き出した時、奥の本棚の前に、一冊の本が落ちているのに気が付いた。先程の物音は、この本が落ちた音らしい。ページが広がったまま、表紙と背表紙を表にして無造作に放られている。 表紙に書かれた本のタイトルなど大して気にもせず、その本を持ち上げた刹那、柳の意識は暗転した。 学校ノ怪談 |