屋上でのワンシーン 口の中で、「バッドタイミング」と転がした。酷い眠気に勝てずに、屋上のドアの裏のスペースで寝てしまったのが始まりである。 高らかに鳴り響いた授業終了のベルで目を覚まし、働かない頭で辺りを見回せば、無造作に放り出された鞄が目に入る。その中に手を突っ込み、携帯を取り出して開いた。デジタルで表示された時間は、十時五十分。授業が丁度終わり、休み時間に差し掛かった所だ。次の授業は流石に出ようと思い、立ち上がった所で屋上の扉が開く音がした。本来なら其れに構う事無く出て行くのだが、今回はパターンが違った。入って来たのは男女二人。それも恋仲らしく、入って来てそうそうバカップルぶりを発揮し始めたのだ。裏にいる私がその光景を見る事は無いけれど、時々聞こえる女の甘ったるい声と、男の無駄に低い声が耳元を劈いて、思わず顔を顰めた。今出て行くのは非常に気まずい状況だ。取り合えず腰を下ろし、教室で暇している友達にメールを送ろうと携帯を開いた時だった。青空の待ち受け画面だった其れが、メールを受信している画像に変わり、数秒足らずで手の中にバイヴの震動が響き始めた。カチ、と操作して受信ボックスを開く。メールの差出人は、クラスメイトである丸井。メールの内容は実にくだらない物で、目を細めてから返信ボタンを押した。 『お前さっきの授業サボっただろ、俺も連れてけよ! 今何処にいんの?』 『屋上。でも、今来ないでよ。カップルがイチャついてるから』 『んじゃあ何でお前其処にいんだよ。もしかして、空気読めないで割り込んだ訳?』 『消えてしまえ。休み時間になったら来たの、その人達』 『ま、授業始まる直前に行くから』 そうメールが来た所で、携帯を閉じた。丸井の事だから、私がこのメールに返信しない事は判っているはずだ。壁に上半身を預けて目を閉じると、夏にしては冷たい風と蝉の声、そしてこの場には不釣合いな男女の声が聞こえてくる。この次もサボる事になりそうだ。朝から全く授業に出てない私は、今じゃサボりの常習犯として全学年のブラックリストに乗っているらしい。全学年の学年主任に目を付けられ、廊下を歩いているだけで厳しい目を向けられるのだから怖い。(まあ、授業に出てない私が悪いんだけれど。)丸井や隣のクラスの仁王だってサボりに関しては常習犯のはずなのに、上手く理由を使って誤魔化しているらしくそこまで目は付けられていないようだ。それに、仁王には柳生がついている訳だからそうそうサボらせないとは思うんだけれど。そんな事を考えているうちに、先程までイチャついていた男女の事が済んだのか、何時の間にか出て行ったらしく、屋上はシンと静まり返っていた。休み時間の半分辺りで済んだ事に驚きを覚えつつ、体制を変えてもう一度目を閉じる。丁度影になった此処は思いのほか居心地が良く、今日のように涼しい風が吹く日は正しくベストスポットだ。風が吹く度頬を掠める髪の毛を鬱陶しく思い、耳に掛けながら後ろへ流した。真っ暗の視界で見えるものは何も無く、ただゆったりとした空間に身を預けるようにして意識を落として行く。寝足りない、と丁度思っていた所である。夏独特の蒸し暑さを感じさせないこの場所で寝るのは、既に日課と化していた。丸井が来るまで後数分。彼が来る前には何とかして眠気を醒ましたい所だけれど、(彼の前で寝ると悪戯されてしまうのだ。)どうしてもこの眠気には勝てそうも無い。眠気に逆らうことなく、意識は落ちていった。 次に起きた時、視界に入ったのは青空でも緑色のフェンスでもましてや壁やコンクリートの床でもなく、真っ赤な髪だった。私は顔を横に向けて寝ていたらしく、その横にいた丸井の横髪が映ったのだ。寝起きの所為でコンタクトがずれた瞳を擦り、焦点を合わせるようにして丸井を見る。携帯片手にガムを膨らまして暇を潰しているようだ。休み時間のガヤつきが無い所から見て、既に授業は始まったらしい。私が体制を整える為に上半身を起こすと、丸井はそれに気が付いたのか此方を向いた。 「お前、俺が来るっつうのに寝てんじゃねえよ」 「しょうがないじゃん、眠いしさ」 「ったく……さっき原が探してたぜィ?お前、原の授業コレで三回連続サボりじゃねえか」 「だってさ、原先生の授業って丁度眠たくなる時間にジャストで入ってるんだもん」 丸井の携帯を覗き込んで時刻を確認すると、糸が切れたように又壁に寄りかかる。原先生は説教が長いから怒らせちゃいけない要注意人物の中に入っていると言うのに、私は其れでも原先生のもとに行く気が起きなかった。毎日が同じ事の繰り返しでつまらないと思うようになってしまってから、こうやってサボる回数が多くなった。授業は家でチラリと参考書を読めば良い。塾にも通ってるし、授業態度以外の成績に関しては中々良い方だとは思う。ボーっとしていると、又襲って来る眠気に欠伸を噛み殺した。じんわりと目尻に溜まる涙を人差指で拭い、丸井の方を見る。 「お前、教室で全然見なくなったな。殆ど屋上でしか会ってねえんだぜィ」 「ふうん、そうなんだ。クラスメイトなのに、面白いね」 「おま……お前が教室戻ってこいよ。って言うか、そろそろ授業受けないとマジでヤバイだろィ?」 「出席日数はヤバイかも。でも、言っておくけど丸井よか頭良いんだよ、私」 「知ってるっつの。真面目に授業出てた時学年主席取ったお前が授業に出なくなった所で、少ししか順位下がらねえだろ。元々、出てても寝てるし」 「眠いから。……まあ、家ではキチンと勉強してるよ」 又欠伸を噛み殺して、一つ伸びをした。腕につけられた金色のブレスレッドが、ストンと二の腕辺りまで落ちる。腕を引っ繰り返して其れを元の場所に戻すと、丁度いい背凭れにと丸井の方に寄りかかってから携帯を開いた。メールは三通来ている。こうやって丸井を椅子の背凭れ代わりにするのはしょっちゅうで、最初は抵抗していた丸井も今じゃ諦めたらしく、何も言ってはこない。メールの受信ボックスを開いて内容を確認すると、一通は返事を返してもう一通は削除した。一通目は友達からのメール。もう一通目は、何処でアドレスを知ったんだか丸井の事を酷く気に入るお嬢様方からの脅迫メールだ。こうやって仲良くしているのが気に食わないらしく、暴言が混じったメールが今までにも何度か送られてきた。そういうのは殆ど相手にしていないのだけれど、其れが又相手の癇に障るらしい。手紙で呼び出しを受けても行かず、殆ど教室にいない私は直接呼び出しを食らう事が無い為一度も顔を見た事が無い。剃刀レターなんて物は、最初手紙を触った時の違和感ですぐ解る。そう言う物は封さえ開けず、即効で焼却炉行きだ。(そこらのゴミ箱に捨てて、誰かが拾ったらたまったモンじゃない。)丸井は自分より少し身長の低い私が持つ携帯の内容を見たのか、パチンとフーセンを割った。 「呼び出し受けてんのかよ」 「受けてないよ。時々メールは来るけど、読んでも読まなくてもゴミ箱行きだからね」 「……俺の所為だろィ」 「違うって。何度言ったら解るかな? 何で丸井が学年中の女の行動に責任持たなきゃいけないのよ。こういうのは気にしないのが一番なんだから」 そう言って携帯を閉じ、スクールバッグの方へ投げる。それは見事スクールバッグの上に着地した。丸井に背を向けているから彼の表情は解らないけれど、まあ呆れたように目を細めているのは見なくても解る事だから、振り向かずにそのまま更に寄りかかった。丁度枕になる辺りに丸井の肩があり、寄りかかり心地は最高。流石に少し角張った肩は痛い時もあったりするけれど、それだって慣れてしまえば痛くも無い。もう癖になったのか、もう一度目を閉じようとした時、丸井が唐突に口を開いた。 「お前さ、最近退屈そうにしてんじゃん?」 「うん。暇、っていうか退屈だね。確かに」 丸井の問いに、うんと頷く。確かに退屈だ。先程も言ったように、毎日が同じ事の繰り返しで酷くつまらないと感じるようになってしまった。私には夢中になるような物も無いし、将来目指している物だってまだ決めてはいない。趣味だって其処までやりたいと思う訳でもないし、特技を磨く事だって無い。そう自覚してからは、全てのやる気を失ってしまったのだ。私の返事から数秒、丸井は少し考えるように黙り込んでしまった。私はそれを問う事も無く、ただじっと目を閉じているだけだった。 一瞬の出来事だったのかもしれない。背凭れにしていた丸井の肩が一瞬で無くなり、後頭部を引き寄せられた。突然の事に驚いて目を開けて、見開いた。私の前髪に彼の赤い前髪が掛かり、鼻が当たらないように角度を変えて。唇には勿論、無駄に柔らかい彼の其が押し当てられていた。状況把握も出来ぬまま、丸井はそっと離れた。 「…俺が楽しませてやるよ」 普段のように人懐こい笑みを浮かべる丸井ではなく、其処にはまるで仁王のように唇の端を釣り上げた丸井が居た。それに驚いて更に目を見張るものの、楽しさと引き換えならそれもそれで楽しいかもしれない、と思う。私の返事が遅いからか、だんだんと不安げな表情になっていく丸井を見て、クスリと笑みを浮かべた。そして、先程丸井がやったのと同じように彼の後頭部を引き寄せ、唇を押し当てる。驚く彼を見て一層笑みを深めた。 「楽しみにしてる」 (09/11/03 退屈しのぎじゃなくても、俺に夢中になれよ。) |