「俺さ、」 その先に続く言葉を聴きたくなくて、私は思わず目を閉じた。視界を遮った所で如何こうなる問題では無いけれど、何となくこうしてしまったのだ。俯いて目を閉じていても、流れ込む様に聞こえてきてしまう彼の声。テノールの、穏やかな声。耳を塞いでしまいたい衝動に駆られる。 「お前の事、好きなんだ」 「……あの、わたし」 「知ってるよ。お前が仁王と付き合ってる事。何時からかは知らないけどな」 「一週間前、から……なの」 でもね。そう出掛かった言葉を飲み込んで、彼――丸井君の目を見た。暗い藍に染まった、悲しみに揺るぐ瞳。脳裏に浮かんだ雅治の笑顔を、裏切る事は出来なかった。ごめんなさい、と言おうとしても、声はスッカリ掠れてしまって出てこない。困った風に無理矢理笑みを作る彼を見ていられなくて、私はすぐに目を逸らしてしまう。サッカー部の、ボールを蹴る音が遠くで聞こえた。放課後。夕暮れの誰も居ない教室で告白されるなんて、何てロマンチックなのだろう。野球部の掛け声も、緩く流れ込んで消えていった。余りにも痛い静寂を必死に破ろうと、意味も無く上靴のつま先をトントン、と床に叩きつける。その音に反応して、丸井君はチラリと此方を見た。そして、小さく目を細める。 「仁王さ。お前の事凄い大切なんだって。毎日の様に惚気られて、こっちは堪んないっつの」 「そ、なんだ。そんな事、普段は言わないから……吃驚した、」 「それ程までに、お前が好きなんだよな。だから、仁王との仲を裂くつもりは無い」 ただ言いたかっただけなんだよな、俺。そう言って自嘲的に笑う丸井君を、直視出来なかった。目の奥が酷く熱い。このまま涙を零してしまえばどんなに楽になれるだろう。キッチリと結ばれたこの唇を解いてしまえたら、どんなに楽だろう。貴方が好き、と縋りたい。何時もの穏やかな笑顔を、自分の物にしたい。愛の言葉を囁く唇を、自分のそれで塞ぎたい。そう思っても、私は行動に出せる程大人でもないし、我が侭を突き通す程子供でもない。どうして人を不幸にする事しか出来ないのだろう、考えるだけ無駄だけれど。 「ごめんなさい。でも、」 「や、良いよ。俺も、直接拒絶の言葉を聞くのはキツいし」 「違うの! ありがとうって言いたくて……私を好きになってくれてありがとう、って」 「……ああ」 半ば涙声の私を、丸井君は小さく笑って眺めていた。そんな小さな笑顔でも、熱くなる。身体中が沸騰した様に熱を持つ。もしこれが雅治なら――そう考えても無駄だとは思うけれど、ここまで感涙しない筈だ。否、しない。けれど、選んだしまった以上逆戻りする事は出来ないのだ。私の長い黒髪と、彼の男にしては長めの赤い髪が、小さな風にゆらりと揺れた。 「これだけ、言いたかっただけだから。呼び出してごめんな」 「ううん、大丈夫……」 「じゃあな」 ひらりと一度手を振って、丸井君は背を向けた。大きな、広々とした背。哀愁に満ちた背中を、私は只黙って見ている事しか出来ない。教室を出ようとした彼を、私は無意識に呼び止めていた。 「ねえ!」 「ん?」 「私達……また、仲良くできるかな」 「無理かも、な」 「だよね、うん。それだけ聞きたかったの。ばいばい」 又明日なんて言葉は言えなかった。丸井君が完全に見えなくなると同時に、私の頬には涙が伝ってゆく。拭っても止まる事の無い涙。思わずしゃがみ込んでしまう。もう友達として接する事も出来なくなるなんて。隠れて想う事も出来なくなるなんて。目の前に絶望しかない気がして、叫び声を上げたくなる。元々、恋人が居る私が他の人を好きになってはいけないのだ。顔を覆って、嗚咽を我慢する。それでも小さく漏れて来る声が、無音の教室に響いて耳へと入り込む。それが余りにも切なくて。嫌になって。頭を抱え込んだ。小小さく吐息が漏れると同時に、教室の扉が荒々しく開いた。思わず身体が強張り、目線だけをそちらに向ける。立っていたのは、息を切らせた雅治だった。 「雅、お前ブン太に何言われた?!」 「違うよ、違うの……」 最近知った香りが、私を包み込む。ぎゅう、と強く抱き締められて、私もそれに縋りついた。違う、違う。首を振って否定する。粗方丸井君にお前の彼女を泣かせた、とでも言われたのだろう。顔を顰め、必死に問い掛けてくる雅治に、黙って抱きついた。胸元に顔を埋めながら、口の中だけで転がす。大好きでした、と。 恐る恐ると降ってきた唇を、私は目を閉じて甘受した。どうか、何時か思い出になりますように。 (09/12/12加筆修正 大好きなのに、離れてしまう) |