遂最近、教室の冷房が壊れた。 今にも焦げそうな程日差しの照りつける七月の空を、は何をするでもなく眺めていた。耳を劈く蝉の声と、外で体育授業を行っている生徒達の笑い声が脳内にこびりつく。 堅苦しいスーツに身を包み、時々額から噴き出る汗をハンカチで拭く数学教師と、睨めっこするつもりは無かった。かと言って、深緑色の黒板に目を向けるつもりも無い。授業を真面目に受ける者、昼寝へ走る者、下敷きを団扇代わりにして机に伏せている者。誰独り口を開く者は居らず、教室内は教師の声で侵食されていた。 「暑っちいな」 不意に聞こえた声は、隣の席の人間が発したものらしかった。小さく独り言の様に呟かれたその声に反応して、は目線だけそちらに向けた。其処には、今の今まで伏せたまま微動だにしなかったクラスメイト――丸井ブン太が、ワイシャツの襟を持ち上げながら顰め面をしていた。彼の前髪は微かに汗で濡れており、鬱陶しそうに払いのけている。 丁度、の横にある窓は閉められていた。音を立てない様に鍵を外し、十センチ程開ける。隙間から流れ込んだ生温い空気でさえ気持ち良いのか、丸井は眉間に寄った皺を解して瞳を細めた。そして、顔ごとの方へ向け口を開く。 「サンキュ。冷房壊れたとか、マジで最悪だわ」 「修理に出す気配も無いしね」 「どうせ、夏休みまで一ヶ月も無いからじゃねえの?」 その言葉に、は声無く頷いた。丸井の言う事は恐らく当たっている。学校側の陰謀が腹立たしいのか、彼は再度顔を顰めた。長い夏休みの間に修理をするにしても、救済措置として扇風機か何か出して欲しい。誰もがそんな文句を言うが、そんな費用は無いと担任は首を横に振るばかり。いたちごっこの様なやり取りに、諦めた生徒は自分で小型の扇風機を持参し、授業中でも休み時間でも顔に向けて暑さを凌いでいる。明らかに活気の無いクラス内に、は苦笑を浮かべた。 「終業式まで後二週間か」 「早いモンだよ、俺はまだ部活あるけど、引退したら完璧な受験生」 一番後ろの席だからか、遠慮無しに頭の後ろで腕を組んで、丸井は溜息を吐いた。確か、彼はテニス部だった筈だ。強豪校だから、全国常連は当たり前。だから、部活を引退するのはきっと夏休み終盤になるのだろう。の所属している部活も同じく、未だ引退じゃない。チアリーディング部。夏休みに野球部の甲子園を応援して、サッカー部の引退試合を応援して、文化祭で後輩達と最後の演技を披露して、そして引退。だから、引退するのは十月頃になる。そうやってまだまだ部活に精を出す二人も、数ヶ月もすれば立派な受験生に早変わりしてしまうのが、何となく可笑しかった。 「来年は大学生だね。志望校決めた?」 「とりあえず、そのまま立海大行くつもり。でも、専門かもしんねーな」 「専門?」 「そ、俺お菓子作るの好きだからさ、製菓の専門」 「ああ、それっぽいね」 「は?」 「引退してから志望校探すの面倒だし、立海大かな」 「見るからに探すの鈍臭そうだもんな、お前」 面白おかしそうに笑いを堪え、丸井はを見た。 「あ、酷い」 「ハハ、悪ィ」 「鈍臭かったらチア部になんて入ってません」 「そっか、お前部長だっけ?」 「そうだよ。これでも、バリバリ後輩引っ張ってんだからね」 「へえ、なんか想像出来ねえ」 眠た気だった瞳は、今やハッキリとを捕らえている。本当にくだらない話だけれど、此れだけで真夏の暑さを乗り越えていける様な気がした。 (09/12/12加筆修正 暑い暑い、けれど次第にそれも薄れていく) |