近くの公立は二十二日に終業式が行われていると言うのに、私立は何故こうも先延ばしするのだろうか。そんな疑問は誰しも思っていたようで、朝のホームルーム前にはどこかしらでその話題を聞いた。今日何度目になるか解らない溜め息が、そこら中に落ちている。十二月二十四日。クリスマスイヴだと言うのに、学校では呑気に体育館での終業式を執り行っている。校長の長い話が、右耳から入って左へと抜けて行った。近くに座る生徒達は皆時計を見やっては小さく溜め息を落とし、パイプ椅子に深く座りなおす。もその一人だった。私語をする力すらないのか、体育館は校長がマイク越しに喋る式辞以外は全くの無音だ。は目線だけをくるりと動かして、斜め前方で気だるそうに座っている銀髪の彼を眺めた。
 仁王とは付き合って半年になるけれど、普通の学生がするような甘ったるい雰囲気は皆無である。部活は引退しているのによほどテニスが好きなのか、一つのものに執着するのが嫌いな仁王が、毎日飽きもせずに部活へ顔を出している。も時折所属していた部活に参加するものの、毎日ではない。それに身体を動かすのが好きだとは言え、今まで部活で鍛え続けていた身体を休めるのも大事だと思っている。だからこそ、仁王とは一緒に帰宅した事も指折り数える程しかないし、ましてや私服で遊びに行くなんて記憶にある限りは一度か二度しか無い。
 (クリスマスイヴだとは言え……テニス部に練習が無い訳ないもんね)
 きっと仁王も、最後までとは言わずとも部活には参加するだろう。余計な期待をせずに帰った方が良いかもしれない、と頭の中で考えながら、体育館の上に設置された窓から外を見上げる。快晴。ホワイトクリスマスは望めないようだ。見ている分には暖かそうな太陽が覗いているけれど、外に出れば冷たい北風が身体を芯から冷やしていく。マフラーなどの防寒具が嫌いなにとって、冬の寒さは耐え難いものだった。セーターやカーディガンを着るのが嫌だからと、登下校の間だけパーカーを着ていたりするものの、薄い生地のそれが完全な防寒の役目を果たしてくれるとはとても思えない。逆に仁王なんかは、見えない事を良い事にズボンの下にスウェットを履いている。マフラーも、日によってはイヤーマフをつけていたりもする。暑さも苦手だけれど寒さも苦手。そんな男なのだ、彼は。
 そんな事を考えている内に、何時の間にか終業式は終了していた。二学期分の表彰式も終え、後は通知表を貰って帰宅するのみ。冬休みの宿題は、受験生を配慮して少なめに用意されている。テストの答案返却時から配られていた為、は殆どの課題を終わらせてある。宿題は貰った時からコツコツやる、と言う仁王の横に居る所為だろうか。ガタリと席を立って真っ先にパイプ椅子を片しに舞台したまで行く生徒達を尻目に、はのんびりと欠伸を零した。すぐに教室の暖房で暖まりたい気持ちは解らなくもないが、まるで年明けのバーゲンセールのように一箇所に吸い込まれる生徒達が、どうも可笑しかった。
 立ち上がってパイプ椅子を畳んだまでは良いもののそこから動こうとはしないの横を、数人の友人達が通り過ぎようとしていた。何やら楽しそうな話題で盛り上がっているようで、友人の一人が名案とばかりにに話し掛けてきた。

 「そうだ。も、今日のクリパどう?」
 「馬鹿、には仁王君が居るってば。ごめんねー、気にしないで!」

 まるで風のようだった。が口を開く前にもう一人の友人が慌てた様子で話を遮り、そのまま行ってしまった。はその様子をポカンと眺めていたが、やがて苦笑を浮かべる。彼氏持ちにはクリスマスに予定がある、と言うのはイコールで結ばれているようだ。溜め息を吐きたくなる気持ちを抑え、は些か人の少なくなった舞台下へ向かった。


 「良いお年を!」なんて声を掛け合いながら帰っていく友人達に、も手を振った。持って帰るものは全てスクールバッグに入れたし、忘れ物は無い筈だ。キチンと閉じられたバッグのチャックを開け、もう一度中を確認する。その時ちらりと見えた淡いブルーの包装に、は微かに目を見開いた。今の今まで忘れていた。少し前に、仁王に向けて買ったクリスマスプレゼントだ。買った次の日から、滅多に無い渡せるチャンスを待つ為にバッグの中に入れてはいたものの、結局タイミングを外して渡せないままでいた。中身は、彼がよく欲しいと呟いていた財布。テニス部のレギュラーになった祝いに姉から買ってもらった財布も、大分ガタが来ているとぼやいていたのを思い出して、彼と仲のいい柳生なんかに好みを聞きながら、個人の趣味ではあるものの買ってしまったのだ。
 (コートに行けば渡せるかな)
 クリスマスイヴ当日に、彼女が部活に出ている彼氏にプレゼントを渡して帰るなんて、無糖にも程があるだろうと自分で思った。けれど、仕方の無いこと。バッグの中でひっそりと存在を主張するブルーの包みを確認すると、はテニスコートへ行こうと教室を出ようとした、その時だった。

 「、お前さん何処へ行くつもりじゃ」
 「……え?」

 教室のドアに寄り掛かるようにして立っていたのは仁王だった。驚きのあまり声が出ないに、仁王は小さく苦笑を向けた。その肩には、何時も背負っているテニスバッグではなく、普段あまり見かけることの無いスクールバッグ。そのバッグにも殆ど荷物は入っていないようで、仁王の肩にはやけに小さいもののように見えた。

 「ぶ、部活は?」
 「何言っとる。引退した後で、イヴに部活行くアホが居るか」
 「ええー……」
 「なん、用事有ったか? 誘う時間が無かったけえ仕方ないがの」
 「な、ないです。一緒に、どこか行けるの?」

 恐る恐ると言った様子で聞いてくるに、仁王は穏やかな笑みを浮かべた。途端、は嬉しそうに頬を綻ばせる。本当に久しぶりだったのだ。仁王から誘ってくることなんて一度あるかないかの瀬戸際だし、も部活で疲れているだろう事を見込んで誘ったりはしなかった。だからこそ突然の朗報に、は嬉しい気持ちを隠すことが出来なかった。先ほどとは打って変わって楽しそうな表情を見せる彼女に、仁王はククッと喉の奥を鳴らして笑った。

 「今日は俺に付き合ってもらうぜ」

 その言葉に、は満面の笑みを浮かべ頷いた。それを確認してから、仁王はの手を取り歩き出す。二人並んで歩いている事が珍しいことなのか、同じ生徒玄関へと向かう生徒達の好奇の目線を寄せ付けた。久しぶりに感じる目線に戸惑いと懐かしさを感じながらも、緩む口元は押さえられなかった。確かに生徒達の目線を集めることは気分良くないけれど、皆が見ると言うことはの隣に仁王が居るということなのだ。仁王は少し急いでいるのか、すらりと伸びたその長い足に相応しい歩幅でどんどん歩いて行く。が軽く小走りをしてやっと追いつける速さ。生徒玄関で靴を履き替えて校門を出ると、仁王は漸く足を緩めた。そして、軽く掴んでいた彼女の手を緩く繋ぎ直す。仁王特有の子供体温が、の冷え性で冷たくなった手を柔らかく温めてくれた。

 「時間もまだまだあるけえ、行きたいトコ有れば連れてっちゃる」
 「それじゃ、映画見に行きたいな。今、ちょうどやってるのが見たくて」
 「ええよ。ここから近い所だと、駅前じゃな」

 今度はに歩調を合わせる様に、のんびりと駅前へと向かう。その間、今まで話していなかった分を埋める様に次から次へと話題が降ってきた。最近の体調や、期末考査の結果、通知表の良し悪し。ほぼ毎日の様に出ていた部活の様子も、仁王は楽しそうに話してくれた。
 駅に近付くにつれ、周りにはカップルが増えてきた。駅前でデートを楽しむのか、電車に乗って都内へ出向くのか。それは解らないけれど、皆幸せそうに笑っている。周りから見ればたちもそう見えているのだろうと、はそっと笑みを浮かべる。人ごみは嫌いだと言っていたのにも関わらず、仁王は時折ぶつかりそうになる人からを守ってくれた。その小さな心遣いにも、の心は温まっていく。

 「どの映画が見たいんじゃ?」
 「えーとね、あの右から二番目のやつ」
 「ん。学生二枚で」
 「あっ、ちょっと仁王君、私自分の分は払うよ」
 「気になさんな。クリスマスじゃろ?」

 チケット売り場では、仁王はさっさと二枚分のチケット代を出してしまった。慌てて自分の財布を取り出そうとするの手を掴み、仁王はやんわりと微笑んだ。その理由にはイマイチ納得出来なかったけれど、は渋々財布を出す手を止める。すると仁王は笑みを深めて納得したように頷き、ポップコーンを片手に映画館の中へ入って行った。
 映画の内容は、何処にでも有るラブロマンスの映画。が見てみたいと思ったのは、そんな恋愛を一度でもしてみたいと思ったからだ。今までさっぱりとした付き合いしかしてこなかった所為か、映画で描かれるような恋愛とは全く無縁だった。仁王がベタベタするのが好きじゃないのは知っていたし、も人前で仁王に擦り寄るほど神経は太くない。洋画だったが、そこそこ楽しめる内容だった。と言うより、こんな恋愛も有るのだと知った。上映中、仁王は時々眉をひそめながらスクリーンを眺めていた。ガムシロップをそのまま飲み干す様な甘ったるいラブシーンでは、ポップコーンを口元に運ぶ手が止まり、まじまじとスクリーンを凝視していた彼に思わず笑ってしまったけれど。映画のストーリー自体は殆ど頭に入っていなかったものの、印象に残るシーンはいくつかあった。と言っても特に特徴的なものではなく、公共のベンチで真昼間からディープキスを交わしているような、そんなシーンばかりだった。

 「なんか、凄かったね。映画」
 「があーいうの趣味だとは思わんかった」
 「趣味じゃないよ? 友達に勧められてね、ちょっと見てみたくなっただけ」

 映画から出ると、仁王は窮屈な場所から開放されたとばかりに大きく伸びをして身体を解していた。その横で、もショーウインドウに大きく張られた映画のポスターを眺めながら欠伸を零す。暗い場所に居たからか、妙に眠気が襲ってきていたのだ。欠伸を噛み殺すと、不意に仁王がズボンの中にある携帯で時刻を確認しているのが滲んだ視界の隅に映りこんだ。

 「そろそろかのう。、行くぜよ」
 「えっ、どこに?」
 「着いたら解るけえ、楽しみにしちょって」

 何時も見せる読めない笑みをに向け、仁王は空になったポップコーンの容器をゴミ箱に捨てながら歩き出した。も一歩遅れて仁王に着いて行く。映画館を出ると、外は大分薄暗くなってきていた。時刻はまだ五時前だと言うのに、行き交う人々を照らす街頭がほんのりと存在を誇張し始めている。ぴりぴりと頬を掠めては全身を撫でる北風に目を細めながら、はズボンに突っ込まれた仁王の腕にそっと触れた。冷気に晒され冷たくなったブレザーは、今まで室内に居て暖まってきていたの手をいとも簡単に冷えさせる。仁王はブレザーを引っ張られる感覚に気が付いたのか不意に後ろを向くと、を確認するなり頬を緩めて彼女の手をやんわりと掴んだ。華奢な身体に似つかわしくない男の手が、の手をすっぽりと包み込む。何処へ行くのか解らないけれど、仁王はしきりに時刻を確認しながら歩みを進める。冬の日は落ちるのが早い。外に出てから三十分と経っていない筈なのに、外はどんどん日を落としていく。

 「着いた」
 「ここって?」

 映画館を出てから三十分。仁王が足を止めたのは、大きなクリスマスツリーの下だった。天辺に飾られた星の飾りは、上を向いても大きなモミに少しだけ隠れてしまう程。綺麗に装飾を施されたそれは、ライトに照らされて美しく反射している。ツリーの下には、そういう催しなのだろうか大きなプレゼントがたくさん置かれていた。典型的な、白い箱に真っ赤なリボン。それらを一通り眺めてから、は仁王に目を戻す。

 「、こういうの好きじゃろ」
 「覚えててくれたの?」
 「当たり前じゃ」

 付き合いたての頃、は外国に有るような大きなクリスマスツリーを見てみたいのだと言った事がある。そして、そういう類のイベントが好きなのだと。その時は夏に差し掛かったころだったから、全く無縁の話だと思っていた。それを約半年の間、仁王が覚えているなんて思いもしなかった。その事実が嬉しくて、目の奥がツンと詰まる気配がした。それを悟られないように、ツリーを見上げる。

 「
 「…………え?」

 突如仁王に呼ばれて再度目を落とした時、は驚嘆の表情を浮かべた。微かに微笑っている仁王の手には、白い箱。ピンク色のリボンが掛かったそれは、誰が見てもプレゼントと言えるようなもので。まさかこんなサプライズが用意されているなんて微塵も考えちゃいなかったは、言葉が出ないまま仁王の手の中にある小包のしてやったりな笑顔を見せる仁王を交互に見比べた。はい、と手を前に出す仁王から、そっと小包を受け取る。軽くも重くも感じるそれを呆然と眺めながら、リボンを解いて箱を開いた。――ピンクゴールドに輝く指環。見たものが信じられなくて、は慌てて仁王を見やる。彼は黙って口端を釣り上げた。
 付き合って初めて出掛けた日、待ち合わせの時はショーウインドウに飾られた二対の指輪を眺めていた。片方がピンクゴールドの、フランス語で愛の言葉が彫られた指環。もう片方はシルバーゴールドで、同じ言葉が彫られたもの。所謂ペアリングだ。片方だけでも一万を超えるそれは、高校生や大学生になった時に手にするんだろうな、なんて考えながら見ていただけのもの。確かに欲しいという気持ちはあったけれど、中学生がやすやすと買える値段ではない。丁度その指環を眺めていた時に仁王が来たのは記憶にある。でも、それを覚えているだなんて誰が想像するだろうか。
 歓喜の余り涙目になるの頭に、仁王の手が置かれた。その時に慣れない感触を感じて、ふと頭をずらして彼の手を見る。ずっとポケットに突っ込まれたまま片時も出さなかった仁王の右手には、対になるもう一つのペアリングが嵌められていた。は目を見開いて、慌てて口を開いた。

 「こ、これ凄く高かったでしょ?! 二つも買うなんて!」
 「気にせんでよかと。部活引退した後も、ずっとに構ってやれんかったし。あれな、ホンマはテニス部の練習出ちょった訳じゃないんよ」
 「どういう、事?」
 「俺らまだ中学生じゃろ? じゃけえ金が無くての。姉貴の知り合いに頼んで、働かしてもらった。アルバイト出来る年齢じゃないから、秘密でじゃけど」

 だからテニス部の練習行くフリしてたし、のこと構ってやれる時間が無かった。そう付け加える仁王に、別の意味で涙が出てきそうになって、何度も瞬きを繰り返すの唇を、ふっと掠めとる。唇に塗られていたグロスが仁王のそれにも薄らと付着して、艶かしく光っていた。呆気に取られてポカンとするに、仁王は笑みを深めた。

 「メリークリスマス」

 その時、だった。仁王の背後にあった大きなクリスマスツリーが、盛大にライトアップされたのだ。綺麗なイルミネーションに包まれるツリーは、先ほどよりも煌びやかに、そして幻想的に見える。目の前で微笑む仁王の銀髪が、ゆるりと景色に溶け込んでいく。余りにも綺麗な光景に、はとうとう一粒の雫を頬へと滑らせた。突然零れた涙に、仁王は驚いた表情を浮かべたが、すぐに喉を鳴らして笑うと、頬を伝って行ったその跡を消すように親指を頬へあてがう。

 「涙脆いのう」
 「だ、だってこんなことされたら……!」
 「がな、何であのラブロマンスを選んだのか何となく気付いちょったよ」
 「えっ?」
 「あーいうの、ちょっとだけ羨ましかったんじゃろ?」

 俺には似合わんシーンばっかりやったな。仁王はそう言ったものの、には仁王の用意してくれたプレゼント自体がラブロマンスをも超える甘いものだと感じていた。だからこそ、ゆるゆると首を振って彼の言葉を否定する。

 「良いの。仁王君と居れるだけで嬉しい、よ。すっごく」
 「そうか? そりゃ嬉しい」
 「あと、これ……私からのプレゼント。気に入ってくれるか解らないけど」

 ずっと鞄に忍ばせていたあのプレゼントをそっと差し出せば、仁王は想定外だったのか目を丸くしていた。クリスマスに約束をしていたわけでもないし、まさかも用意しているだなんて思わなかったのだろう。滅多に見られない驚きの表情を見せながら、淡いブルーの包みを受け取る。ブルーのリボンが解かれているのを横目に見ながら、は無償に恥ずかしくなって微かながらに俯いた。布の擦れる音が止んだかと思うと、仁王の掠れた声が落ちてくる。

 「知っとったん、これ……?」
 「うん」

 柳生には、仁王が良く行くメンズのお店を教えてもらっていたから、その中で選んだのだ。仁王の好みを考えて選んだものだったけれど、仁王自身も気になっていたらしい。は柔らかく頬を緩めると、ふわりと笑った。

 「メリークリスマス!」
 「ありがとうな。めちゃくちゃ嬉しいぜよ」
 「私もだよ」
 「さっきの指環、貸しんしゃい」

 が指環の入っている小包を手渡すと、仁王は中から指環を取り出してそっとの右薬指に嵌めた。何処で知ったのか、サイズもぴったりだ。ピンクゴールドは、の白い肌に良く映えていた。がその指環をしげしげと眺める時間も無く、そっと壊れ物を扱うかのような動作で抱き寄せられる。久しぶりに仁王の香水の香りを間近に感じて、はそっと目を閉じた。

 「左は予約な。それまで俺の傍におって」
 「うん。絶対……いるよ」
 「、愛しとうよ」

 抱き寄せられる力が少しだけ強められて、は何度も何度も頷いた。涙で滲んだ視界の中で、ツリーが一層輝いた気がした。



09/12/26 雅