ら か な 白 昼 夢 頬に長い睫毛の影を落としながら、大きく分厚い本を読んでいる彼をぼんやりと眺め、は若草色のクッションにそっと力を込めた。 白石の部屋に来るのはこれが初めてじゃないけれど、相変わらず彼の部屋は独特である。一般の男子中学生の部屋には無いであろう健康器具がたくさん揃っているし、本棚には毒草に関する本が詰められている。元々活字が好きなは、初めて訪ねた時に本棚を見つけて思わず駆け寄ったが、中に揃えられた本の種類に酷く驚いたものだ。 それでも別に毒草が嫌いなわけではないし、白石と付き合い始めて彼の部屋を訪ねるようになってから、毒草の本を眺める事も多くなった。今回もまた然りで、本棚に詰まった数ある本の中から適当に一冊手に取り、読んでいたわけである。白石も最近手に入れた本があるらしく、が家に来てからも熱心にそれを読んでいた。 構ってほしくない、とは言わない。けれど、楽しそうにページをめくる彼を見ていたら、その行為を遮ってはいけないと思う。は開いていた薄めの本を閉じ、本棚の元あった場所へと戻した。そして、綺麗なシーツの敷かれたベッドの上へあがると、持っていたクッションを抱きしめるような格好で横になる。 白石は部活で酷く疲れているだろうし、彼のしていることの邪魔はしたくない。彼の匂いが強く残るベッドで横になっているだけで、どこか白石に包まれているような感じがするので、は一人寝転がっているのでも満足なのだ。流石に寝顔を見られたくはないので、壁側を向いて目を閉じた。不思議なもので、白石のベッドはすぐに眠気が襲ってくる。 少し蹲るような形でクッションに顔を埋めると、睡魔はすぐにやってきた。きっと、あの分厚い本を読み終えた頃に起こしてくれるだろう。そう思って意識を手放そうとしたその時、後ろへ広がった髪に何かが触れるのに気がついた。けれど、そちらに意識を集中できない。眠気に勝てないのだ。 気のせいだろうと勝手に自己完結して、眠ろうとする。しかし、それは聞き慣れた声によって遮られてしまった。 「眠いん?」 「んー……本読み終わったの……?」 「まだ。でもがベッド行くん見えて、気になったんや」 「気にしないで。本、読んでていいよ」 まどろんだ意識の中、少し呂律の回らない言葉で何とか返していく。どうやら、髪に触れているのは白石の手らしかった。優しい手つきに頬を緩めつつ、大きく息を吐いて肩の力を抜く。本格的に寝る体制になったと気付いたのか、白石は髪を撫でる手を止め、本に向き直った。髪に触れる感触が遠ざかる。はそのまま眠りの世界へ吸い込まれていった。 どれ位時間が経っただろうか。瞼の裏に差し込む日の光で、は眼を覚ました。薄ら目を開けると、ぼんやりと霞む視界の中に白石の姿が映り込む。と言うより、本当に目の前に白石の顔があった。驚いて目を見開き、頭を後ろへ引くと、白石は苦笑しながらの前髪に触れた。 「起きたか?」 「う、うん……ごめん、寝ちゃって」 「いや、ええよ」 どうやら無意識のうちに寝返りを打っていたらしく、白石に寝顔を晒していたようだ。恥ずかしさでクッションを抱きしめたまま起き上がると、白石は少しだけ眉をひそめ、が持っていた若草色のクッションを奪ってしまった。驚いてぽかんと口を開けると、白石はが今の今まで持っていたそのクッションに顔を埋め、上目遣いでこちらを見やる。 「ええ匂いがするなあ」 「えっ? やだ、それ今まで私が使ってたクッション……!」 慌ててクッションを取り返そうと身を乗り出すと、白石はゆるゆると瞳を細めてクッションを遠ざける。そして笑みを深め、先程がやっていたようにそのクッションを抱きしめた。 「返してほしいか?」 「う、うん……」 「じゃあ、何で俺が怒ってるか当てたら返したる」 「……え?」 怒ってたの、という言葉はギリギリ飲みこんだ。まさか怒っているが故の行動だなんて思わなかったのだ。あまりの驚きに声も出ないを見て、白石は薄く苦笑したかと思うと、片手をひらひらと振って否定した。 「怒ってるっちゅーか、嫉妬やな」 「し、っと?」 ますます意味が解らない。嫉妬する対象がどこにあると言うのだろうか。白石を放っておいて寝てしまったのは確かに悪いと思っているし、それは怒られても仕方がないと気付いたばかりだったのに、彼は「怒り」ではなく「嫉妬」だと言う。世界中どこを探しても睡魔に嫉妬する人間はいないだろう。 思わず顔を顰めてしまうと、白石はふうん、と厭な薄ら笑いを浮かべてみせた。 「解らんのん?」 「え……と、その……クッション?」 「ほぼ当てずっぽうやなあ。ま、正解やから許したる」 白石はそう言って、クッションを部屋の後ろへ放り投げた。それは白石の後方にある壁にぶつかって、そのまま下へ落ちる。クッションの行く先を見つめてから、は意味が解らないといった風に小首を傾げた。確かに白石の言うとおり、当てずっぽうだった。 がこの部屋に来てから現在に至るまで、触れていたのはこのクッションと毒草の本だけだ。携帯はカバンの中に入れたまま一度も取り出してはいないし、何かに固執していたわけでもない。考えられるのはクッションだけだった訳だけれど、それが正解だとも思えなかったのだ。 「何でクッションなんかに、っちゅー顔やな」 「だって、クッションって……」 「、俺ん家来てから、俺に触れたか?」 そこまで言われて、は漸く理解した。と同時に、抑えきれない笑みが零れ出る。普段酷く大人びている彼だけれど、時々こうやって可愛らしい言動をしてくれる。が笑顔になると同時に、少し拗ねたように眉をひそめる白石に向けて、はそっと手を伸ばした。 に応えるように、白石が伸ばされた手を掴む。そのまま白石がベッドの上にあがると、は白石の首元に腕を巻きつける。 「蔵が毒草の本ばっかり読むから、私どうして良いのか解んなかったんだもん」 「あほ、こっちは好きな女連れてきて緊張しとるだけや。それに、が帰った後のクッション、の香りが染みついてんねやもん」 「……そんなにクッションばっかりいじってないよ」 「でも、常にクッション抱き締めとるやろ」 重心を斜めに傾けて、二人してベッドに横になる。自然と伸びた白石の腕に頭を乗せて、は首を傾げて考えた。言われてみれば、確かに白石の部屋に来ると真っ先に触れるのはあのクッションだ。けれどそれはあくまで物であって、白石に対する恋愛感情のようなものは持っていない。 「難しく考えんといて。俺が言いたいんは、クッション掴むんなら俺掴めやっちゅー事」 「く、蔵掴むって。掴むとこないよ」 「肉の話やないっちゅーねん。俺の部屋に来たら、俺に触ってればええんや」 白石の空いている右手が、被さるようにしての左手と絡み合った。普段から包帯で隠れている左手とは違い、白石の右手は人肌の感触がリアルに伝わってくる。几帳面にギリギリまで切られた爪と、炎天下の中テニスをしている癖に妙に白く滑らかな肌。大きさや手のひらに出来た肉刺を除けば、白魚のような手である。 その手をぼんやり眺めながら、ふと自分の右手を使って白石の手と大きさを比べてみる。女子の中でも小さくはないの手だけれど、白石と比べると、彼の手の第一関節程までしか無いことに気がついて、思わず笑ってしまった。一般的に女顔と言われる白石。しかし、こうした些細な所には男を感じることが出来る。 「なん、俺とそないに大きさちゃうん?」 「んーん、第一関節くらい。私の友達なんか、私の第一関節位しかないんだよ。蔵と比べたらどれ位違うんだろう」 「へえ、女子の中でもそんなに違うんか?」 「そうだよ。私なんか大きい方だもん」 「ふーん。でも俺はこのサイズがええなあ。ちっこすぎると、扱いに困るわ。ほら、ちょうどぴったりやろ」 合わさっていた手を少しずらして、白石はの指の隙間に自分の指を絡ませた。すっぽりとは言わずとも、の手は白石の手に包まれるような形になっている。 「私も、蔵の大きさが好き」 「そこ、大きさは抜いてくれた方がええねんけど」 「大きさを? ……そうしたら、蔵にも抜いてほしかったな」 「ん。俺にはが一番や。たまに本気で天然かますとこも、頼りになるとこも、俺のとこで息抜きしてくれるとこも、笑った顔も、ぜーんぶ好き」 「な、なんか恥ずかしくなってきたんだけど」 「ほら、俺言ったで。次はの番やろ」 「え、ええ……私だって蔵が一番だよ? えーと、イケメンなのに毒草好きなところとか、イケメンなのにお笑いに生きてるところとか、イケメンなのに素面で絶頂って言うところとか……」 「ちょお待ち。何やねんそのイケメンなのにっちゅーのは。しかも全部微妙やないか」 「だって蔵イケメンだし……もし蔵が毒草好きじゃなくて、お笑いも程々にしてて、素面で絶頂なんて言わなかったら、きっともっと多くの女の子が蔵の事好きになっちゃうよ」 「……それは、俺が毒草好きでお笑いに生きてて素面で絶頂言うからモテへんっちゅー事か?」 「違う違う。今でも充分モテてるよ。でも、今は友達止まりが多いでしょ? それがいつ恋愛対象になるんだろうって思うと、彼女としては怖いんです」 「何の心配してんねん。俺はが一番やし、他の女に目ェ向ける気ないわ」 「へへ、ありがと。真面目に言うと、いつも周りに気を配ってて気遣いが行き届いてたり、部長頑張ってたり、疲れてるのに私の相手をしてくれたりする優しい蔵が大好きだよ」 白石に背を向けていたからこそ、躊躇いなく言う事が出来た。けれど、白石は全く反応せずに黙りこんでいる。普段ならすぐにでも言葉を返してくれるのに、と不審に思ってが振り向くと、そこには真っ赤な顔をして目を逸らしている白石の姿があった。 普段からが恥ずかしがって言えない言葉も、平気な顔をして言ってのける白石の照れた表情を見るのは、これが初めてだった。思わず起き上がって、口元を押さえて叫ぶ。 「くっ蔵が照れてるー!!」 「仕方ないやろ! がそんなこと言うん初めてなんやし!」 「貴重すぎる! ねえねえ写メ撮って良い? 写メ!」 「良いわけないやろ……ほら、こっち来いや」 腕を引かれて、再度ベッドへ沈む。 「ほら、さっさと寝るで」 「寝るの?!」 「おん、抱き枕にして寝たる。最近、ちょっと疲れててん」 「わかった。おやすみ」 白石の胸元にもぐりこむようにして、はゆっくりと目を閉じた。けれど、先程まで寝ていたに眠気はやってこない。暫くじっとしていると、頭上から規則正しい寝息が聞こえてきた。そっと顔を上げると、間近に白石の寝顔が現れる。化粧をしていない筈なのに、伏せられた睫毛は女の子のように長い。 すぐ近くで見る白石の顔は、彼女としての贔屓目なしに整っていると思う。ミルクティ色の髪の毛は、彼に良く似合っている。それらをじっと見つめてから、は頬を緩めて再度白石の胸元に顔をうずめた。 「私を選んでくれてありがとう」 の背中に回っている白石の手が、少しだけ強めにを抱き寄せた気がした。 100806 雅 |