放課後、はいつもの様に図書室へ向かった。本の虫と言うわけではないが、四天宝寺中学の図書館には、の興味をそそる本がいくらか置いてある。だからと言っていちいち借りるのも億劫だったので、毎回図書室内で読んでいた。読むペースは早い方で、普通の文庫本であればその日の内に読み終えてしまうのである。
 ハードカバーの分厚い本は昨日で読み終えてしまった為、今日は新しい本を探そうと、図書室の扉を開けた。が好むジャンルの置かれた本棚へ向かおうとしたところで、普段は見慣れない姿があるのに気が付いた。カラフルなピアスを三つ程ぶら下げたその横顔には、見覚えがある。同じクラスにいる白石や忍足の元に、何度か足を運んできたことのある後輩だ。
 図書委員だったのだろうか。そうでもなきゃあ、彼に本は似合わない。雑誌や漫画ならまだしも、彼が立っているのは、の好きなジャンルであるホラーミステリー。似合わないと言っても、知り合いではないのだから、彼がどういう趣味をしているのかは解らない。面識もなかったので、は気にせず財前光がいる本棚に近付いた。
 気配と足音で気が付いたようで財前はこちらを向いたが、はなるべく反応を返さないように本棚に並べられた本を見ていく。興味のそそられるタイトルの本を手にとっては本棚に戻すという作業を繰り返していると、ほぼ隣に立っていた彼がぽつりと呟いた。

 「……そういう本、読むんスか」

 は驚いて、財前の方を向いた。まさか自分に話しかけてくるとは思わなかったけれど、彼は間違いなくを見ている。心底驚いた表情を浮かべているとは裏腹に、財前は全くの無表情で、彼がどういう意図をもってそんなことを聞いてくるのか、にはさっぱり解らなかった。寧ろ、財前が発した言葉なのかすら解らない。彼は既に口を閉ざしていたのだから。
 それでも問われたことは事実だったので、素直に頷いておく。財前は頷いたを確認したかと思うと、また本棚に目を戻してしまった。
 も突然の出来事に驚いたが、ただ何となく聞いてみただけなのだろう。彼の性格を良く知っているわけでもないし、そう自己完結して手に取ったばかりの本に目線を落とす。ハードカバーのそれはタイトルにこそ惹かれたものの、本章の出だしが気に入らなかったので、すぐ本棚へ返した。
 次の本を探そうとしたところで、制服のポケットに入れている携帯が振動していることに気が付き、ポケットからだらりとぶら下がったストラップを引っ張って携帯を取り出す。メールだと思っていたそれは着信で、サブディスプレイには、と本の趣味が合った前の学校の後輩の名前が表示されていた。
 通話ボタンを押して、声を極限まで小さくする。

 「もしもし?」
 『もしもし。さんの言っていた本が見つかったので、報告にと電話しました』
 「あ、本当? わざわざありがとう。こっちはまだ。でも、学校の図書室に結構気になる本があってさ」
 『そうなんですか? 確か、四天宝寺でしたっけ』
 「そうだよ。って言っても、もう興味あるの殆ど読んじゃったから、そろそろ図書室通いも終わりだけど」
 『氷帝の図書館なら、そんなこと絶対言えないですね』
 「はは、本当だね。そういう意味じゃ、氷帝に戻りたいなあ。日吉とも本屋巡りしたいし」

 がここに転入してくる前通っていた氷帝学園は、図書館の規模が酷く大きかった。『室』ではなく『館』と言う時点で既に違うのだけれど、図書館は校舎とは別の場所にあったのだ。図書館のデザインも有名デザイナーが手掛けたもののようで、随分と凝った外装だったのを今でも良く覚えている。
 テニス部レギュラーのクラスメイトを通じて仲良くなった日吉とも、東京にいた頃は大きな本屋をよくハシゴしていたものだ。日吉との間に恋愛感情はなく、が外見の割にしっかりしているからか、日吉は事あるごとに姉のように慕ってくれるのである。
 東京にいた頃の事を思い出して思わず頬を緩めると、視界の隅に居たままだった財前がまたもこちらを見るのが解った。携帯を耳にあてたまま、俯きがちだった顔をあげて彼を見る。もしかしてうるさかっただろうかと少し申し訳ない気持ちになったが、先程の無表情とは打って変わって驚いた顔をしている財前を見るなり、それはしぼむように消えて行った。

 『……さん? 聞こえてますか?』
 「えっ? あ、何?」
 『もう部活なので、またメールしますと言ったんです』
 「あ、そ、そう。解った。じゃあメール待ってるね」
 『はい。では、失礼します』

 プツン、と電話が切られる音が聞こえて、は携帯を離した。携帯をポケットに戻して、途中になっていた本の散策を始めようとした時、がここにきてからずっと動かずに立っていた財前が、本当に小さな声で話しかけてきた。ここが図書室と言う静寂に包まれた場でなければ、聞きとることも難しそうな声量で、だ。

 「前、氷帝に通ってたってホンマやったんですね」
 「そうだけど……謙也達から聞いたの?」

 彼との直接的な関わりはないから、聞いたとしたら忍足か白石のどちらかだろう。そう思って尋ねてみると、財前は小さく頷いた。またも、彼は黙り込んでしまう。けれど先程と違ったのは、未だ目線を合わせたままだと言う事だった。滅多に表情には出ないらしい彼の心情を読み取るのは、初対面であるには到底無理なことで、は困惑したように眉をひそめる。
 どうして良いのか解らない、と言うようなの表情に気付いたのだろう、財前は整った顔を少しだけ顰めると、癖のように後ろ髪を掻いた。

 「あー……先輩は、初対面や思うてはるんやろ思いますけど、俺からしたらちゃうんです」
 「そう、なの?」
 「俺、図書委員なんです。せやから、毎週月曜、いつもカウンターん中おるんスよ」

 少しだけ言いづらそうに、財前は言葉を重ねていく。そうは言われても、にはピンと来る筈がなかった。いくら毎日のように図書室へ通いつめていようと、本を借りにカウンターへ向かった事なんて一度もなかったのだから。そう考えて見れば、カウンターの方なんて注視したことなどただの一回もなかったような気がしてきて、途端に申し訳ない気持ちになる。
 もしかしたら、彼の当番の日にも欠かさず来ているが、一度も本を借りて行かないのに気が付いて、文句でも言いに来たのだろうか。それでもは財前からすれば年上で先輩に当たるわけで、一応年上だからと、今まで我慢してきたのかもしれない。一度その考えが出てくると、それが一番妥当のように思えて、は思わず苦笑した。

 「実を言うと、先輩、謙也さんらと同じクラスでしょ? 前からずっと、気になっとったんスわ」
 「え、ごめん。やっぱり迷惑だった?」
 「……はあ?」

 考えていた事が事だからか、財前の言葉には反射的に謝ってしまった。が忍足達と同じクラスであることを知ってから、ずっと文句を言う機会を伺っていたのかもしれない。咄嗟にそう思い謝ったを他所に、彼は訳が解らないとばかりに眉を寄せて、首を傾げてみせた。その反応を見て、は漸く自分が全くの思い違いをしていたことを悟る。
 内心の動揺を悟られないように、慌てて何でもない、と否定すると、財前は納得したのかどうかは定かではないものの、一応頷いてくれた。

 「で、ホンマ突然かもしれませんけど、先輩が好きなんです」
 「………………え? わ、私? 人違い、とかじゃなくて?」
 「合うてますよ。謙也さんから彼氏おらへんの聞きましたけど、氷帝の日吉とは、付き合うてるんですか」

 真っ直ぐな瞳に見つめられて、は茫然としたまま首を横に振った。お互いそういう感情が無いのは確認しているし、この前は日吉に恋愛相談されたことがある。どうやら、今日吉は同学年に気になる女子生徒がいるらしい。未だに信じられずぼんやりと財前を見上げていると、彼は一の字に結ばれた唇をやんわりと解いて、緩くつり上げた。

 「なら良かったです。ああ、でも返事はええですよ。初対面で告った所で、オッケー貰えるなんて思ってないんで」
 「そ、そう……」
 「でも、覚悟はしといて貰いたいです。ここまで来たら、俺ももう引き下がれないッスわ」
 「覚悟?」
 「ホンマは今日、告るつもりやあらへんかったんです。とりあえず、先輩に俺を認識して貰う程度のつもりやったんですけど」

 予想以上に急ピッチで進みましたわ。そう言って、財前は目を細める。

 「俺を好きになる覚悟、しといてくださいね」

 ニィ、と鋭い笑みを浮かべたかと思うと、財前はいつの間にか手にしていたらしい一冊の本をに手渡し、そのままカウンターの方へ行ってしまった。その姿を追いかけるように一度振り向いて後ろ姿を確認してから、渡された本に目を落とす。誰から聞いたのだろうか、が日吉に勧められて探していた本が、そこにはあった。
 図書室のバーコードが付いているからここの本だとは思うけれど、妙に真新しいのが気になる。ふと今まで財前が立っていた本棚に目を向ければ、新しく学校で買ったらしい見慣れない本が綺麗に並べられていた。どうやら、ずっとここに立っていたのはこれらの本を並べる為だったようだ。どれもこれも好みのもので、内心酷く驚いた。
 (じゃあ、これも……?)
 もう一度手元の本を見下ろして、ハードカバーのそれを捲ってみる。すると、本に挟まっていたらしい紙がするりと滑って下へ落ちたのが見えた。足元に落ちている綺麗に折り畳まれたルーズリーフを拾い上げて、開く。そこには財前の携帯番号、そしてメールアドレスと思われる記号の羅列が並べられていた。
 驚いて、彼の向かった先を見る。意外にも財前はこちらを向いていて、遠目からでは良く解らないけれど、してやったりな表情を浮かべているように見えた。

 「反則でしょ、これ……」

 自分でも解る、赤くなった顔を見られないように慌てて本に目を向けてから、は己の胸にそっと手を当てる。普段より小刻みに動く鼓動が、既に答えを導き出していた。



100819 雅

さくら様へ